セントラルパークで花なんて売れない。
ましてや紙で作った花なんてー
1 セントラルパークの花売り
「お花はいかがですか?」
時折かじかむ手に息を吹きかけながら、私は花を売る。
道を歩く人は私の存在にすら気付かないように前を向いたまま通り過ぎていく。
曇天の空からはちらちらと雪が降ってきた。
自由の街、紐育。
そこでは誰にでもチャンスがあるという。
それは嘘ではない。
紐育は誰にでも門戸を開いている。
しかし、成功を手に収められるのはほんの一握り人だけ。
運や才能を持って生まれた幸運な人だけだ。
運も才能も持ち合わせなかった人間はどうすればいいのか。
その日を食いつないで生きていくしかない。
その日暮らしをしている中では、私は恵まれているほうだと思う。
家族がいる。
日本からブラジルに移民しながら、アメリカ人だったお父さんと駆け落ちをして、
紐育にやって来たお母さん。
少しまだ頼りないけど、優しい弟。
それに本当なら夜の仕事でもゴミ漁りでもしないと暮らしていけない生活の苦しさなのに、
お母さんは私に花を売ればいいと言った。
「あんたの顔には愛嬌があるからニコニコして花でも売ればいいかもね」と。
自分は病弱な身体で夜の仕事をしているのに。
だから、私は売り続ける。
欲しがる人なんて滅多にいない紙の花を。
「お花はいりませんか?」
私は道を行く人に控えめに訊ねる。
少しでも花を売りたいけど、強引に勧めたりはしない。
だって、そんなことをして誰かを不快にさせたら嫌だから。
「はぁ」
(今日はもう駄目かな?)
私は空を見上げる。
先ほどから降り始めた雪はだんだんきつくなってきている。
公園のベンチに座っていた人々も足早に家路につこうとしていた。
もう花を売るどころではない。
(でもー)
今日はまだ一本も花が売れていなかった。
せめて一本でも売って、甘いキャンディのひとつでも弟に買って帰ってあげたかった。
今日もこんな寒空の下、少しでも家計を支えるためゴミ拾いをしている弟の為に。
「春は名のみの風の寒さや〜」
寒さから気を逸らすため私は小声で歌を歌った。
お母さんが最近よく歌っている歌だ。
故郷の日本の歌らしい。
日本では今はもうカレンダーの上では春だけど、
まだまだ寒いっていう意味の歌だと教えてくれた。
「谷の鶯歌は思えど」
この先を私は知らない。
お母さんがこの先を覚えていないからだ。
短いこのフレーズを何度も何度も歌ってる。
「その続きは?」
いきなり声を掛けられてびっくりした。
(誰…)
辺りを見回しても誰もいない。
目を凝らしてようやく道を挟んで置かれているベンチに座った人が
話しかけてきたのだと分かった。
「知らないんです」
そう返事をして、この距離では声が聞こえなかったのではないかと思い、
その人の目の前まで近寄った。
身なりのしっかりした30代くらいの男の人だった。
高級そうなスーツを着て、サングラスをかけている。
「ここまでしかこの歌…知らないんです」
「そうなのかい。残念だね…綺麗な歌なのに」
「はい…」
「日本の歌みたいだけど…君、日本人?」
「いえ、母が日本人なんです」
男の人は雪荒ぶ中、微笑んだように思えた。
「そうか。でも、君も日本人らしい綺麗な黒い瞳してるよ」
「そんなことないです…」
その時、冷たい一陣の風が吹いた。
あまりの寒さに私は手で腕をさする。
「今日はまだ花を売るの?」
「私のこと…知っているんですか?」
「いつもここに立っているからね。とても声が綺麗だと思っていたよ」
「えっ…」
以前にも歌を聞かれていたのだろうか。
そうだとしたら恥ずかしい。
(私の歌なんて…)
今も誰もいないと思ったから、歌ったのに。
「もし、花が売れていなくて帰れないなら…僕に買い取らせてくれないかな?」
「あ、はい。ありがとうございます」
手に持った籠から花を一本抜き取って、差し出すと、
「全部売ってはくれないの?」
ウィンクとともにそう言われた。
「え?いいんですか?」
男の人は頷いた。
全部買ってくれるなら籠ごと渡してしまおうかとも思ったが、
それだと明日から花を売る時に困ってしまう。
ポケットの中に入っていたハンカチに花を全部包んだ。
「どうぞ」
「ハンカチ…いいの?」
「はい」
男の人は5ドル札を私の手に握らせ、「おつりはいらないよ」と言った。
「でも、多すぎます!」
花が何本あるのかはっきりとは分かっていなかったが、
明らかに5ドルは多すぎた。
「じゃあ、また今度歌を聞かせて」
それでいいよと男の人は笑う。
「でも、それでも…」
私の歌には1セントの価値もないのに。
また、強い風が吹いた。
「じゃあ、僕はそろそろ行くよ。君の名前を聞いてもいいかい?」
「
です」
「そうか。僕はサニーサイドだよ」
それが出会いだった。
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