3 春に咲く・夏に走る
「お母さん、私って綺麗?」
化粧をするお母さんの顔を覗き込んで訊ねる。
「なんだい…いきなり」
「別に深い意味はないけどー」
言い淀む私に
「恋だろ?」
にやりと笑いながらお母さんは言う。
あまりにも簡単に言い当てられてしまった私は素直に頷いた。
「なんで分かったの?」
「そりゃ分かるさ。恋すると自分の顔が気になるもんなんだよ。
それに毎日毎日ウキウキして…」
そんなに態度に出ていたのだろうかと恥ずかしくなる。
「で、相手はコートをプレゼントしてくれたっていう男かい?」
「…うん」
「けっこう年いってるんだろ?」
「たぶん」
「お前の恋の相手にはハードルが高くないかい?
そんな遊び慣れた男じゃお前みたいな世間知らずの女は
味見されてすぐにぽい…だよ」
「……」
「日本人は珍しがられるからね…」
化粧の手は止めずにお母さんはそんなことを言う。
「違うよ。私が勝手に好きなだけ…」
そう。
私が勝手にサニーサイドさんを好きなだけ。
あんなに素敵な人が私のことを…好奇心でも好きなはずがない。
黙り込んでしまった私にお母さんは
「お前は綺麗だよ」
微笑みながらそう言った。
「正統派美人じゃあないけどね…もっと自分に自信をもちな」
口の悪いお母さんらしい言い方。
「ありがとう」
私も思わず笑ってしまう。
会えると嬉しくて、会えないと寂しくて、
これが恋なんだと気が付いた。
でも、だからってどうこうしようという気持ちはない。
ただただ会えると嬉しいだけ。
もっと顔を見ていたいと思うだけ。
春が来て、夏になって、私は少しだけサニーサイドさんのことを知った。
例えば、彼がリトルリップシアターの支配人だということ。
どんな所なのか知りたくて、名前しか知らなかったリトルリップシアターを
何度も道に迷いながらわざわざ見に行った。
立派な建物に改めてサニーサイドさんが雲の上の人だと思い知らされた。
それでも思いは消えない。
ますます好きになっていくばかりだ。
それは多分サニーサイドさんが優しすぎるからだと思う。
気まぐれのように不定期にしか会いに来てくれないけど、
いつも花を全部買い取ってくれて、
季節が変わるたびに服もプレゼントしてくれた。
一緒にホットドックを食べたこともあった。
サニーサイドさんと一緒にいると魂が吸い寄せられたようになってしまって、
気持ちがぽわんとしてしまうのだ。
私は文字通り夢中だった。
「
、どうしたの?」
声を掛けられてやっと自分が固まっていたことに気付いた。
「す、すみません」
「楽しそうじゃないね」
「そうじゃないんです。ただ、緊張していて…」
緊張していたのは本当だ。
今日もふらっと現れたサニーサイドさんは
いつものように花を全部買い取ってくれて、
「このあと予定がないのなら」とお茶に誘ってくれたのだ。
サニーサイドさんが連れて行ってくれたのは、
セントラルパーク近くのオープンカフェだった。
前は何度も通ったことがあるが、勿論入るのは初めてだ。
サニーサイドさんは道路に面したソファ席を選んだ。
サニーサイドさんと一緒にいるだけで緊張するのに
慣れないお洒落な店で隣同士に座っていることに、
もうどうしようもないほど緊張する。
「それは悪かったね。もっとラフな店を選べばよかった」
「いえ、いちいち緊張する私が悪いんです…」
運ばれてきたお茶の甘い香りに惹かれ、
一口飲んで心を落ち着けようと、カップの持ち手に手を伸ばす。
指先が震えた。
小刻みに震える手はカップをカタカタと鳴らしてしまうばかりで、
上手くカップを握れず、仕方なく手を引っ込める。
もう片方の手で痛い程握り締めた。
(私の馬鹿…)
耳まで熱くなっているのがはっきりと分かった。
こんなみっともない姿見られたくなかった。
顔も上げることが出来ない私の手にサニーサイドさんの手が重ねられた。
「やめて…」
「何故?」
「余計、緊張します」
「何事も慣れ。すぐに慣れるよ」
優しい声でそう言われると、手を離してほしいのにどうしようもなくて、
ただただ手に意識が集まっていく。
緊張に冷え切った手はサニーサイドさんの大きな手に包まれて、
次第に暖かくなってきた。
「少し落ち着いた?」
その言葉にそっと頷いた。
(今、手を繫いでいるんだ…)
やっとそんな当たり前のことが考えられるようになった。
(恥ずかしいけど、嬉しい…かも)
そんなことを思っていたら、
私の指と指の間にサニーサイドさんの指が入り込んで、
指と指を絡める格好なった。
また、心臓が飛び出しそうなほどドキドキする。
指と指の間が汗ばんできたことばかりが気になる。
「どっちがいい?」
理解するまで時間がかかったが、
さっきのとどちらがいいと聞かれると分かった。
そんなこと分かるわけない。
困り果てて、サニーサイドさんの方を見ると、目が合った。
(あっ…)
まるでいじめられているような気分になる。
サニーサイドさんは息をするのも必死な私を
更に追い詰めて遊んでいるのではないか、そんな気になる。
なのに、私は捕らわれてしまったように視線が外せなくなる。
視線に蕩けてしまいそうだ。
「
、どっちがいい?」
もう一度聞かれて、ぽろっと言葉が出た。
「こっちのほうが…」
(ひとつになったみたいで嬉しい)
自分でそう思って、それなのにそのことを恥ずかしく感じた。
でも、言ってしまうと急に楽になる。
「じゃあ、このままでいよう」
きゅっとつながった手に力が籠められた。
Created by
DreamEditor