5 紐育が燃える日
こっ酷く振られようが泣き暮らそうが、日常は変わらず続く。
私は相変わらずセントラルパークで売れない花を売るだけだ。
サニーサイドさんにはあれ以来会わなかった。
仕事が忙しいのか、私に愛想を尽かしたのか、
私には知る術もないが、会えなくて良かった。
私は心の平安を保っていられたから。
気持ちがいきなり消えるわけではないけど、落ち着いていられた。
どこか靄のかかったような日々。
そんな私を弟のアキラや友達は大人っぽくなったと評してくれた。
お母さんだけには可愛げがないと言われたが…
しかし、私の鮮やかな色彩を失ったようでいて、
のんびりと穏やかな日常は長くは続かなかった。
変な機械がニューヨークを襲い始めたのだ。
正確には前からそういうことはあったらしいが、
私は見たことなかったし、新聞も読まないから、全然知らなかった。
ニューヨークはあっという間にパニックに陥った。
ありとあらゆる都市機能は麻痺し、
金持ちはニューヨークから逃れようと移動を開始しているらしい。
逃げるお金もない私たちのような貧乏人には関係のない話だったが。
「はぁ…どうしようかね」
お母さんがため息をつく。
「あっちこっちが壊されまくってるらしいぜ」
アキラも珍しく深刻そうな顔をしていた。
「ふーん」
私は自分でも不思議なほど落ち着いていた。
「ふーんってあんた…」
お母さんが呆れた顔をしたけど、気にもならない。
いつものように籠に花に詰めて、鏡で笑顔を確認。
「よし。できた」
「おい。どこ行くんだい?」
「花を売りに行くの…だって、私にはそれしかできないから」
「そうだけど…危ないじゃないか」
「家の中にいても同じよ」
私は制止するお母さんを振り切って、家を飛び出した。
ニューヨークは酷い有様だった。
あちこちで火の手が上がり、人々が逃げ惑う。
ニューヨークはもう駄目だという声も聞こえてきた。
大見得を切って出てきたものの流石に心細く、怖くなる。
家に戻ろうかという気にもなったが、
セントラルパークの様子が気になった。
(あの人はどうしてるんだろうー)
もしかしたらニューヨークから逃げたのかもしれない。
図太そうな人だし、まさか死んだりしてはいないと思うけど…
「やだな。もう私には関係ない人なのに」
でも、無事でいて欲しいと思った。
酷い仕打ちを受けても、好きな人であることには変わりなかったから。
セントラルパークに近くなると、怖くて足が竦んだ。
あんなに活気に満ちていたセントラルパークには人影ひとつなく、
空はどんよりと曇っていて、近寄りがたい雰囲気が溢れていた。
見ているだけで鳥肌が立ってくる。
「やっぱり帰ろう」
震える腕を抱いて、家に向かって走り出した時、
「
!」
大声で呼ばれて、びっくりして辺りを見回した。
(え、誰…)
「
」
今度は優しく名前を呼ばれた。
「サニーサイドさん!どうしてこんなところに…」
「
こそ…どうして」
現れたサニーサイドさんはらしくなくネクタイが曲がり、
スーツに皺が出来ていた。
「セントラルパークが気になって…」
「もうここは危ないよ。どこかに逃げなさい」
厳しい顔でサニーサイドさんが言う。
サニーサイドさんのこんな真剣な顔見たことなかった。
「私みたいな貧乏人には行く場所なんてありませんよ」
サニーサイドさんは眉をひそめた。
「サニーサイドさんこそどうして?」
とっくに逃げたのかと思っていたのに。
「まだ、やらないといけないことがあるんだよ」
こんな状態のニューヨークで何をと思ったが、
その言葉はすとっと胸に落ちた。
「じゃあ、頑張って下さい」
サニーサイドさんに近寄り、ネクタイを直した。
「死なないで…下さいね」
皺が消えるわけではないけど、スーツの裾もぴっぴっと引っ張った。
「これで少しは見れるようになりましたよ」
自然と笑顔が浮かぶ。
こんな事態でも会えると嬉しくてたまらない自分がおかしかった。
「
は怖くないのかい?」
「怖いけど…私にはニューヨークしか生きていく場所がないから、
昨日までと同じように生きていくだけです。
流石に花を売るのはちょっと無謀だったみたいだけど…」
腕にかけたままの籠に視線をやって、苦笑する。
つられたようにサニーサイドさんも笑った。
急に腕を引かれる。
大きな身体の中に抱きこまれた。
「ごめん」
痛いほどに力強く抱き締められた。
「しばらくこのままでー」
それが一時の逃避だと分かっていても、
もう少しだけこの暖かさに縋っていたくて、
私はサニーサイドさんの背中に腕を回し、そっと瞳を閉じた。
サニーサイドさんも多分同じ気持ちだったと思う。
時折、サニーサイドさんが髪を撫でてくれて、
恐怖も不安感も忘れて、ただただ安らいだ気持ちになった。
遠くから聞こえてくる爆音も叫び声もカークラクションも
全てが遠い世界のもののようだった。
いつまでも抱かれていたかった。
「アキラ!松明!」
「どうしたんだよ…姉ちゃん」
息を切らして走りながら叫んだ私に
アキラはびっくしりしたみたいだった。
声が聞こえたのかお母さんも家から出てきた。
「松明をいっぱい作って、みんなで持つの…
夜になってもニューヨークが真っ暗にならないように」
「なんで?」
「ニューヨークは生きているってアピールするのよ」
「アピールか…でも、誰に?」
「誰だろう…よく分からないけど、
ニューヨークでまだ頑張っている人の為に」
ずっと難しい顔をしていたアキラが顔を輝かした。
「いいアイデアだな!材料探してくる」
走り出したアキラの背中に叫んだ。
「じゃあ、私は人集めるから!」
町中の人を集めてやろうと腕まくりした私にお母さんが言った。
「そのアイデア誰に入れ知恵されたの?あんたが考えたんじゃないでしょ…」
「サニーサイドさん」
「あの男まだニューヨークにいるんだ?」
「さっき会った…」
「へーなかなかやるじゃないか」
感心したようにお母さんが言う。
「会ったら嬉しくて嬉しくてたまらなかった」
素直な気持ちを呟いてみた。
さっきのことを思い出すと頬が火照った。
「せいぜい頑張っておいで!」
お母さんには聞こえなかったみたいだ。
夕方までにはかなりの数の松明を用意でき、人も集まってきた。
「じゃあ、火を付けましょう」
ぽっぽっとあちちで火が付き、周囲がぱぁっと明るくなった。
あちらこちらから歓声が上がる。
集まった人たちは思い思いの輪を作り、
語り合ったり、歌を歌ったりしている。
どの人の顔にもニューヨークの現状が嘘のように笑顔があった。
「おーい!姉ちゃん!」
俺が見張りをすると言って、
この辺りで一番高いマンションの屋上にいるアキラから声がかかる。
「どうしたの?」
「ちょっと上がってきて!」
息を切らせながら屋上まで一気に階段を上りきった。
「うわぁ」
「凄いだろ」
「うん。凄い」
高層ビルに阻まれて見えない方向も多いものの、
ニューヨークのあちらこちらでほのかな光が輝いていた。
「姉ちゃんと同じ考えの人がたくさんいたんだな」
「うん。この光を見て、もっともっと松明に火を付けてくれる人が増えるよ」
「ちょっと見直したぜ…」
「へへ。ありがと」
ニューヨークはまだ生きている。
そう思った。
今はただひたすら祈りを捧げる
我らがニューヨークに栄光あれ
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